さとり世代に教えてもらったことPart.2

どうもリョウです。

またまた久しぶりの投稿になりました。

年度末ということもあり、忙しくしておりました。

 

最近、更新頻度は少なくなってきたのですが、

書き出すと止まらなくなり、大作ばかりになってしまう

傾向があります(笑)

 

因みに今回の記事は終わってみれば4500字くらいになりました。

ということで、お時間のある方はお読み頂ければと思います。

 

ということで、本編の始まりです・・・・。

 

 

【さとり世代に教えてもらったことPart.2】

 

実は私の働いている部署にはさとり世代が4人います。

いつも一緒に仕事をしながら勉強させてもらってるんですが、

本日はその4人の内の一人から教えて貰ったことが

素晴らしかったのでシェアしたいと思います。

 

さとり世代なのでまだ20代前半の男の子なのですが、

僕の20代の時よりも何倍もしっかりしている子です。

 

彼は僕とは違って作業療法士という少し専門性が違う職種なのですが、

とてもいい視点を持っており、勉強になったので紹介したいと思います。

 

ある日、彼が今度開催される学会で発表することになり、その抄録(発表内容を簡単にまとめたもの)を

読んで欲しいと、僕に持ってきてくれたのがきっかけです。

 

その発表内容は、ある高齢患者さんが長期入院により衰えていく身体を自覚しながら、

生きる希望を見失っていたにも関わらず、作業療法士の関わりによって、入院していながらも、

「同窓会に行きたい」という患者さんの思いを聞き出し、病院から同窓会に参加することを

実現させた報告内容が書いてあったものでした。

 

発表内容の詳細については割愛させて頂きますが、これらを実現させるために、

作業療法士である彼がコンセプトとして大切に考えていたのが「人間作業モデル」

という概念でした。

 

この「人間作業モデル」という治療概念は、入職当時から彼自身が大切にしてきたことで、

よく研修会にも行ったりと、日々患者さんと向き合いながら研鑽していたことを私自身、

よく知っていたので、その努力が大きく実った形の発表内容だったので、

私も本当に嬉しく思いました。

 

この「人間作業モデル」というのは私の本職である理学療法業界では

あまり知られていないものなので、3年前に彼が入職してからも時々教えてもらっていたのですが、

今回は発表用の抄録(いわゆる文章)を見せてもらうい、また、実際の患者さんにそのことが、

応用できたこことがよく伝わり、とても参考になったんですね。

 

 

ということで、その特に印象に残った文章というのをシェアしたいと思います。

彼が抄録のなかで、考察で引用していた次の文章です。

 

Kielhofnerは集団に属し、役割を得て、他者に影響を与えながら

自分は誰なのかという感情を得る。

 

十分な役割がなければ生活習慣の崩れや自尊心の喪失につながる

としている。

 

 

ここでKielhofnerというのは人の名前で、先ほど少し紹介した、

人間作業モデルという概念を提唱した人のことです。

(詳しくは著者や、いろいろネット検索されると出てくるのでそちらを参照下さい)

 

大事なのはそのあとですよね。

くどいかもしれませんがあえてもう一度。

 

「私たちは集団に属し、役割を得て、他者に影響を与えながら

自分は誰なのかという感情を得る。

十分な役割がなければ生活習慣の崩れ自尊心の喪失につながる」

 

 

この文章をよく読んでいると実は、今病院で入院している高齢者の多くが

このような方が殆どだということに改めて気付かされたんですね。

 

 

今は核家族化が進み、実際入院している高齢者患者さんでも独居の方が

年々増えている印象があります。

なかには、娘さん、息子さんやお孫さんに恵まれている方もおられますが、

そうでない方も多くおられます。

 

また、入院する前までは、独居にしろ家族と過ごされていた方にしろ、

それなりにその人らしい人間関係や、社会的役割、生活環境を築いているのですが、

ひとたび入院して、普段の生活環境から切り離された病院では、

その全てが断たれてしまうことが少なくありません。

 

例えば、65歳を過ぎても新聞配達の仕事をしていた方、

あるいは、あるお稽古事の先生(師範)で生徒さんを何人も教えていて先生と呼ばれていた人、

他には地域の老人の集まりで、いつも旅行の企画やとりまとめをしていた方、

時にはある会社の会長さんや、難病の妻と同居している男性等々、

 

それはもう、様々で決して同じなんてことはまずなくて、本当に十人十色です。

 

勿論、私もこんなブログをやっている手前、日々患者様と向き合う時は、

その方の人となりや、生活、その環境を配慮しながら接しているつもりですが、

 

やはり、患者さんというだけで、どこかの「病気」や「障害」、

をついつい先に考えてしまいがちなんですね。

 

そして、病院なので、「治療」、「改善」、「効率」、などがやはり求められてきますので、

なかなか、患者さん一人一人にゆっくり、じっくり向き合えないことがあるのも事実なんです。

 

実際忙しくなってきたら、患者さんをお待たせしてしまうことも多々ありますので、

そんな時はとにかく話よりも「治療」、「改善」、「効率」的なことに僕たちの意識もいってしまうわけです。

 

特に年度末は忙しかったので、ちょうど、さとり世代の彼が、この文章を見せてくれたおかげで、

人として大切なことを忘れてはいけないなと改めて思い直すことができました。

 

そして、それと同時に患者さんだけじゃなくて、

普段接する家族や友人、職場の同僚など、自分と関わる全ての人にこの、

 

「私たちは集団に属し、役割を得て、他者に影響を与えながら

自分は誰なのかという感情を得る。

十分な役割がなければ生活習慣の崩れや自尊心の喪失につながる」

 

ということを忘れずに接していきたいなと思ったんですね。

 

ただ、この文章を、ただ何度も読まされても

少し分かりにくいと思いますので、

じゃあ、これってどういうことかということを書いてみたいと思います。

 

 

 

【自分に関わる全ての人に投げかける言葉に意識を向ける】

 

例えば、簡単に言えば自分の家族でいうと、幼い娘(7歳と5歳)が、

ちょっと家の家事を手伝ってくれたら、

「ありがとう、助かったよ。いつもしてくれ頼りになるな~」と褒める。

っていう些細なことでいいと思うんです。

 

あるいは、職番の一番の下の後輩が雑用をしてくれている時に、

何気に「いつもありがとう。おかげで、みんなの仕事がはかどるよ」

といったことでもいいと思います。

 

要は、その言葉を聞いた相手が、

「あ、自分は誰かに必要とされているな」

「自分がしていることが誰かの役に立っているな」

「自分のことを認めてくれる人がいるな」

「自分は今、この職場や、グループの一員で、この仕事(役割)

 については自分が任されているんだ。(必要とされているんだ)」

というような気持ちになれたらいいと思うんですね。

 

簡単に言えば、「褒める」ことなのかもしれませんが、

他者に影響を与えながら自分は誰なのかという感情を得てもらう

必要があると思うので、単純に「凄いね」「偉いね」だけで終わってしまうような

褒め方だけでは少し足りないと思います。

 

僕がいつも意識しているのは例えば、言葉かけもそうなんですが、

職場でいうと後輩に「仕事を任せる」という、役割を与えるということでしょうか?

 

いつも「頑張っているね、凄いね」といくら口だけで後輩を褒めてだけいても、

結局重要な仕事を任せてくれなかったら、やっぱり後輩としては、

 

「リョウさんはいつも褒めてはくれるけど、結局大事な仕事はまかせてくれないな・・・・」と、

なってしまうかもしれませんよね。

 

つまり「役割」です。

 

だからこそ、僕はあえて、「これはちょっと彼には難しい仕事かな~」とか思う仕事でも、

時々、後輩を信じて任せるように意識しています。

(もちろん、それが実際にどのように思われているのかは分かりませんが・・・・)

 

逆に、必要以上に褒めなくても、その仕事の役割を与えるということ事体が、

「認めて」、「信用している」ということになるので、何よりの「激励」というか「称賛」に

なると思うんですね。

 

 

逆に今まで説明してきたことと全く反対の表現や行動は、

慎重にしないと、相手を追いつめてしまうことがあるということを自覚しないといけないと思います。

 

「存在が集団の中で認められない」、「集団の中において重要な役割(ポスト)を与えられない」

「集団の中で、自分の存在価値が認められない」、「集団の中で自分が必要とされていないと感じる」

 

こうなると生活習慣の崩れや自尊心の喪失につながるということをKielhofnerさんが

言っておられるということなんですね。

たしかに、こうなると僕も、さすがにキツイと思います。

 

勿論、日々仕事や生活をしていると、このように感じてしまうことはあるかもしれません。

でも、そんな中でも少しでも「自分がある集団(グループ)の一員として認められ、

大切な役割を与えられ、存在価値を認めて貰えたなら・・・・」

 

あるいはそんな一言を言ってくれる人が回りに一人でもいたら・・・

 

 

やっぱり「嬉しいですよね!!」

そして何より、「頑張ろう!!」って思えませんか?

神様じゃないですけど、「誰かがみててくれたんだ・・・」

って思うだけで勇気が湧いてきませんか?

 

 

 

実際、僕もブログをやってて、「いいね!」の数が増えるのも嬉しいですし、

「アクセスが多い」のも嬉しいです。

 

また、コメントやメッセージで励ましの言葉を頂くのも嬉しいですし、

何より、記事の内容に共感して下さった場合というのは本当に

モチベーションアップがアップします。

 

 

「自分の書いた記事で誰かを勇気づけることができたなら・・・」

という思いで書いていますので、一人からでも感謝の言葉を頂くと、

 

「やってて良かった~、頑張って書いてよかった~」って思いますもんね。

本当に嬉しいです。

 

 

ということで長くなりましたが、まとめに入りたいと思います(笑)

 

 

本日はさとり世代の後輩に教えて貰ったことということで、

人間作業モデルの提唱者、Kielhofnerさんの言葉を紹介しました。

 

 

「私たちは集団に属し、役割を得て、他者に影響を与えながら

自分は誰なのかという感情を得る。

十分な役割がなければ生活習慣の崩れや自尊心の喪失につながる」

(3回目、さすがに、もうええやろ)

 

 

ということで、

 

 

誰かを勇気づけたい、モチベーションを上げるような言葉をかけてあげたい。

という時は・・・・

 

 

「あ、自分は誰かに必要とされているな」

「自分がしていることが誰かの役に立っているな」

「自分のことを認めてくれる人がいるな」

「自分は今、この職場や、グループの一員で、この仕事(役割)

 については自分が任されているんだ。(必要とされているんだ)」

 

 

ということを感じて貰えるように接することができればいいですよね。

 

 

そして、逆に

「存在が集団の中で認められない」、「集団の中において重要な役割(ポスト)を与えられない」

「集団の中で、自分の存在価値が認められない」、「集団の中で自分が必要とされていないと感じる」

 

これを感じてしまうと人は自尊心を失うので安易な言葉は選ばないように、

そして、そのように思わせないこと、

あるいはそのような環境に追い詰めないことも大切なんだな~と改めて感じました。

 

最後に、今回の記事の題材を提供してくれた、さとり世代の後輩M君に感謝したいと思います。

 

 

本日も長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

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