辛い体験は決して無駄じゃない(再投稿)

こんばんは。リョウです。
今日もブログ読んで頂き感謝します。

 

 

前回、「患者さんに教えてもらって心の力」の話で

色々と共感頂き、やはり理学療法士としてでしか

伝えれないことを伝えていくことも大切だな~と

改めて考えさせられました。

 

そこで、実は今日はブログを始めた初期の頃の

記事を追記・編集して、もう一度、投稿させて頂く

ことにしました。

 

ブログ開始当初は今のようなアクセス数もなく、

読者の方も殆どいなかったので、おそらく読んで

いない方も沢山おられるかと思い、再投稿という

形にさせて頂きました。

 

これは私が実際に体験した話です。

尚、本日も超大作(約5000字)となり、

長い文章となってしまいましたので、

時間のある時に読んで頂ければと思います。

それでは本編の始まりです。

 

 

【辛い体験は決して無駄じゃない】

 

 

私の妻の母、つまり義母は70歳半ばで認知症となり、

入院中に誤嚥性肺炎を発症して、病院と施設を行ったり来たりして、

約半年近く、療養病院に入院し、1年以上家に帰ることなく、

亡くなったのですが、最後の1ヵ月以上あまり、積極的な延命治療を

妻も、私も希望しなかったため、わずかな点滴でその最後を迎える

ことを妻と私は選びました。

 

 

その最後の姿はやはり、元気であった時の面影はまるでなく、

それはもう、言葉では表現できないほど、切ないものでした。

 

 

特に、その約半年程まえに私の実祖母が95歳で他界したのですが、

祖母は亡くなる1週間前まで、自分の口から食べることができていたので、

本当に最後の姿や表情は安らかなものであったため、

 

「人間、食べないで亡くなっていくってこういうことになるんだな~」

と心から感じました。

 

私は仕事や研究でも摂食・嚥下(食べる機能のこと)をテーマにしていたので、

それが患者さん対象ではなく自分の身内に起こったことで深く心にそのことが

刻まれました。

 

 

それから数か月後のある日、私はある患者様を担当することになりました。

Aさんは70歳後半のある難病を患っておられる方で、他院で大きな手術を受けて、

その後、誤嚥性肺炎を合併し、ほぼ寝たきりの状況で、家族さんが当院のDr.に

藁をもすがる気持ちで転院してこられた方でした。

(一般の急性期病院や大学病院系は主となる治療が終わると

その治療経過がある程度過ぎると、患者様に退院か転院を促し、

ベッドを空ける必要があるからです。)

 

もともとこのAさんは当院の循環器の先生に診察して貰っていた経緯があり、

その先生を頼って来られたのでした。

 

 

Aさんは3人のお子さんがおられますが、みなさん独立され奥様と二人暮らし。

Aさんは入院当初は、ほぼ寝たきりで、起き上がることもできないような状態

でした。

手術を受けるまでは自分で歩いて散歩に行くくらいのことはできていたので、

奥さんとしてもこんな状況では家には連れて帰れないということで、当院の

リハビリを期待してこられたのでした。

 

その甲斐があり、医師の薬や、専門の看護ケア、約1ヵ月半のリハビリで

Aさんは平行棒で歩けるようになったり、楽しみ程度に口から食べられるまでに

回復しましたが、やはり難病の影響や手術、合併症である誤嚥性肺炎の影響もあり、

手術前のように屋外を歩いたり、階段を上ったり、3食を口から食べるまでの回復には

至らず、結局、寝起きや服の着替え、排泄、には全て介助が必要で、お食事は

胃に穴をあけて直接栄養を入れる胃瘻が主という状況となっており、以前の状態まで

今一歩というところで、回復が停滞していました。

 

やはり高齢の影響と、もともとの難病の影響もあるので、私としても当初の寝たきりから

考えたら十分かな?という感じで、医師や、看護師、その他のスタッフにもそのように

感じていました。

 

当院のような急性期病院では次の急性期患者様を受け入れるためにも、ある程度

入院期間が長くなってくると、状態が安定している患者様は、完全な状態でなくても

自宅や施設に退院して頂く必要があり、その期間が刻々と迫ってきていました。

 

奥様は迷っておられました。

自宅に退院して自分で介護するか、施設に退院するのか・・・・。

 

Aさんはもともと伸長が180㎝近くあり、その当時でこそ体重は60㎏にも

満たないほどやせていましたが、70代の奥様が介護するのは簡単ではありません。

 

また、もともとの難病の影響で身体が思うように動く時とそうでない時があります。

調子が悪ければ寝返りや起き上がるということにも介助が必要になります。

 

そんなある日、Aさんの奥さんはリハビリ見学をしながら私に相談してきました。

「先生どうしましょう・・・・」

 

勿論、私には決定権はなく、あくまで奥様やお子さん達と

最終決定して頂くのですが、自宅退院が大変であることはよく分かっていました。

 

でも、私が奥様に伝えたのは、

冒頭でお話しした、私の義母の最後の姿の話でした。

 

そのお話がその時、適切だったか分からないのですが、

私は奥さんに

 

「人間として最後まで、Aさんらしくいて欲しいと思われるなら、

在宅という選択肢もありますよ。

介護度は高く出ると思うので、色々な介護サービスを利用すれば

在宅生活できるかもしれません。やってみてダメだったらその時は

それこそ、施設なり、療養病院に行けばいいんです。」

(介護度が高い:要介護者の状態によって介護度が高くなれば

受けられるサービスが多くなり、補助も沢山でると思って下さい)

 

 

と、思わず、自分の実体験を交えて語っていました。

後に考えたら本当に言って良かったのか悩んだのですが、

その時は、つい自分と同じような辛い体験はして欲しくない

という私的感情が入っていました。

 

 

というのも、この話をした時には既に奥様は主治医や、

当院の医療ソーシャルワーカーに療養型の病院

(積極的な治療そしない病院)への転院を勧められていました。

 

ただ、僕の話が心には凄く引っかかったみたいで、その話をした後、

奥さんは「う~ん」とうなって、とても考え込んでおられました。

 

 

 

その話をして約2,3日後に、奥さんは転院予定となる、

ある病院に面談に行かれました。

そして、その面談から帰ってきてこう言ったのです。

 

「私、やっぱり主人を家に連れて帰ります。

 主人はまだ家で頑張れると思います。頑張りますのでお願いします」

 

転院先の病院に面談に行くということはほぼ、その病院に行くという

意思表示をしているということなので、それを蹴ってまで自宅退院に

方向転換したのは一体どうしてなんですか?と僕は奥さんに尋ねました。

 

すると奥さんは

「向こうの病院で施設見学させてもらって、病棟で寝ている患者さんを

見てたら、先生の義母さんの話のことを思い出して・・・・。

今、自宅に一度でも退院させれなかったら私後悔すると思ったんです。

先生のあの一言が私の背中を押してくれました。」

と言われちゃったんです。

 

確かに、現在の医療制度における療養型の病院では

自分たちが理想とする医療や看護、介護をすることは難しく、

理想的な医療や看護、介護が実現できているところは多くありません。

きっとその現実を目の前にして奥さんは決意されたのでしょう。

 

その覚悟と決意は私にも十分伝わりました。

そしてそれから退院までの1週間半ほどで

在宅に帰るための介護保険サービスの調整や、

奥さんへの介護指導等をして、Aさんは退院

されたのです。奥さんも必死で頑張りました。

 

また、退院後、生活が安定するまでは週2回、

私が訪問リハビリとしてご自宅に伺うことになりました。

(当院は急性期病院でありながらも、期間限定で入院していた患者様が

退院する時に必要に応じて訪問リハビリを行っています)

 

 

そこから、奥さんはさらに頑張りました。

特に排泄については最初は失敗も多かったようなのですが、

ヘルパーさんの導入も受け入れることなく、ほぼ一人で奥さんは

頑張られました。そのおかげか、訪問するたびにAさんの表情も

体調も良くなり、徐々に歩けるようになってきました。

この時Aさんの食事は主に胃瘻からでしたが、点滴よりも胃腸を

使うため、栄養状態や免疫系がよりしっかりして、いわゆる元気が

でるのです。

 

そして、1ヵ月もすると、私たちの予想とは反して、自宅の玄関の

階段(約10段ほどあります)を、少しの介助で昇り降りできるようになり、

トイレまでの歩行も見守りで行けるようになりました。

 

退院した時は自分で玄関の階段を昇ることができず、

介護タクシーの方と息子さんが車いすごとAさんを自宅に連れて

あがったのに・・・・・信じられませんでした。

 

 

同時に奥さんの表情もだんだん良くなってきました。

退院当初は慣れない介護に戸惑い、日々の排泄ケアで

疲労が溜まっていたのですがAさんの回復にともない、

介助量の軽減もあり、生活にゆとりが出てきたからでしょう。

 

 

結局2ヵ月程度でかなり状態が改善し生活も落ち着いたため、

地域の訪問看護ステーションに引継ぐことで私の訪問リハビリは

一旦終了することができました。

(この時点では食事は胃瘻でしたが、栄養状態もよく、往診に来ている先生も

無理に食べると誤嚥の可能性があるから、胃瘻のままで行きましょうということ

になっていました)

 

そして訪問リハビリ最後の別れ際に奥さんが

このように言ってくれました。

 

「本当に先生にあの一言を言って貰ってなかったら、

私は主人を家に連れて帰ることはなかったです。

あの時、連れて帰ると決断しなければ、

今頃主人は病院で寝たきりだったと思います。

ありがとうございました。」と・・・

 

私自信は、Aさんの回復はやはり揺るぎない奥さんの

愛情ある献身的な介護が一番の理由だと思っていましたが、

確かに、退院せずに療養病院に転院していたら、

寝たきりになっていた可能性は高いなと思っていたので、

本当に心から安堵したことを覚えています。

 

実際、私の勤務する急性期病院に入院されている患者様で

以前のような生活ができないまでに弱ってしまった人は、

家族の介護力により自宅に帰れるかどうかが左右されている

現状をいやという程知っていたからです。

 

なかには患者さん本人は「家に帰りたい」と言っていても、

家族の人たちは「私たちでは見れません(介護できません)」

と言われて、結局施設への退院や、療養病院への転院を

余儀なくされる方を本当に沢山みてきました。

 

 

特に介護老人保健施設や療養病院では一部の施設では

在宅復帰のためのリハビリをしてくれているところもありますが、

施設により差があり、全国的にみればそのような施設が

充実している地域もありますが、地域格差が大きく、

私たちの住んでいる医療圏ではまだまだ充実していない

という背景もあり、本当に自宅に帰れて良かったなと、

スタッフとも言いあっていました。

 

 

さて、本題に戻りますが、このエピソードではAさんの

奥様の献身的な愛のある介護を見せて頂き、

私も勉強をさせて貰ったのですが、

もう一人、私に大切なことを教えてくれた方が

いたのを皆さん気付かれていますか?

 

 

そうです。義母です。

 

 

私は、Aさんの訪問リハビリ最終日に奥さんから

感謝の言葉を頂いた時、帰りの車で、義母に

感謝をしていました。

 

 

「お義母さんが身をもって教えてくれたことが、

一人の人の心を動かして、その人の生活を救ったよ」と・・・・・・。

 

 

そして、あの辛い経験は無駄ではなかったと思いました。

理学療法士をしてもう15年になり、過去にも在宅退院を

迷われる患者様のご家族にAさんの奥さんに同じように

言ったことはあったかもしれません。

 

でもおそらく、仮に私が同じことを言ったとしても

義母を見送った体験の前と後では

言葉の重みが違ったのだと思います。

 

人間は単純ではありません。だからこそ、

辛い体験をして初めて分かるものもあると

思います。で、その時はとても辛いんですが、

逆にその経験があったからこそ、

同じような境遇の方に少しでも気づきや、

勇気を与えることができたんだなと・・・。

 

 

僕の好きな斎藤一人さんも

いつも言われていることなんですが、

 

「自分のマイナスがあれば

それを基にしてプラスに変えちゃうんだよ」と・・・・。

その言葉を体感した瞬間でした。

 

「人って、どうしようもないほど辛いこととか、

避けられないことってありますよね。でもそのこと

を決っして無駄にしないように、むしろ、それを

乗り越えて自分に得になるくらいに頭を使うんだよ」って・・・・

 

 

今回は、私の経験したことを一人の理学療法士として

だけでなく、一人の人間として奥さんに伝えることができ、

そのことで、奥さんの背中を押すことができたことに

驚いたとともに、嬉しくも思いました。

 

やはり、医療人は知識と技術も大切だけど、

そのハートも大切なんだなと改めて感じることができた

出来事でもありました。

 

そしてこれからも辛いことがあった瞬間は落ち込んでも、

すぐに心をきり変えて何度でも、何度でも前を向き、

上を目指していけば、自分だけでなく、きっとまた

誰かの背中を押すことに繋がるんだなと、

自分も勇気を貰いました。

 

 

最後にこの貴重な体験をさせてもらったAさん夫婦と

義母に本当に心から感謝します。

 

そして、最後まで読んで下さった方にも感謝致します。

どうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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