患者さんが教えてくれた心の力

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どうもリョウです。

本日もブログにお越し頂きありがとうございます。

 

 

さて、今日は病院で実際にあった話をしたいと

思います。

昨年実際にあった話でとても印象深い出来事で

前々から記事にしたいなと思っていたものです。

なんと、全部の記事を書きあげるのに4日間も

かかりました。

 

 

なので、少し長いお話しになります。

(いつもの約2.5倍くらいのボリュームです)

 

少し時間の余裕のある時に

お読み頂ければと思います。

 

それではどうぞ・・・・・

 

 

 

尚、今回このようにブログの記事にさせて頂くことは

患者さんのご家族に了解を得ています。

 

 

 

主人公は私が担当した中年の男性Aさんです。

Aさんは数年前から前立腺癌を患い、

抗がん剤治療を私の勤務する病院や近隣の

大学病院で受けていました。

 

もともと、活発な方でお若い頃は長距離を歩いたり、

仕事も意欲的にされていた方で、治療のための

入退院を繰り返しながらもお仕事をされていました。

お仕事はある部署の長を任されているような方でした。

 

 

丁度、私が担当したのは昨年の秋頃でした。

ある日、大学病院で抗がん剤の新薬の治験を勧められ

Aさんは二つ返事で受けたそうなんですが、

あまりの副作用の強さにさすがに参ってしまい、

その治療をやめて、自宅近くの私が勤務する病院に

転院されてきました。

 

 

いつも新規患者さんが出た時は依頼書がやってきて、

そこに簡単な主治医のコメントが書いているのですが、

詳細は忘れてしまったのですが、

とにかく「末期の状態である」、いわゆるターミナル期※

であるということでした。

 

※ターミナル期

(治療は施せない状況で、緩和医療をして痛みや

苦痛を和らげる段階であるという意味)

 

 

私は、この依頼書を見て、ある程度カルテで情報収集

した後、それなりの覚悟をもってお部屋に挨拶に伺い

ました。

 

『Aさん、どうも初めまして。

今回リハビリの担当になった理学療法士です。

どうぞ、宜しくお願い致します。』

 

そう言いながら部屋に私が入るとAさんはベッド

に横たわっていました。

 

確か挨拶は返して下さったのですが声は

弱弱しかったように思います。

身体の動きは辛うじて起きて個室のトイレに

歩いていけるくらい。

抗がん剤の副作用で全身がむくみ、

表情に活気はありませんでした。

 

ただ、リハビリということについて期待をもって

おられたようで

「家に帰りたいです。

 もう一度職場に戻りたいんで宜しくお願い致します。」

とはっきりと言われたんです。

 

私としては

「もう癌の末期の状態で緩和医療の段階に入っているのに・・・」

と少しは心の中で思ったのですが、諦めないその心に打たれて、

「そうですね。頑張りましょう!!」と答えました。

 

初回のその日は各関節のかたさや、

筋力がどの程度かを簡単にチェックして終了しました。

 

そしてその日から私とAさんとのリハビリの日々が始まりました。

とにかくAさんは何を話しても「前向き」という方で、

身体に副作用の影響が残っているにも関わらず、

何事もあきらめずにリハビリに取り組まれました。

 

特に、下肢の筋力が低下していたので

筋力強化に取り組んで頂きました。

勿論、ごく軽い負荷の運動しかしないのですが、

それでもAさんはすぐに息切れをしてしまい、

何度も休憩をとりながら、苦笑いしながらも必死で

取り組んでくださいました。

 

特に、お住まいが団地の2階で階段を昇れないと

家に帰れないということと、

職場も2階にあり、階段を昇るためにはなんとしても

筋力を強化する必要がありました。

 

幸い、Aさんの筋力低下はさほどひどくなく、

数日で低い段差を昇り降りできるまでになり、

奥さんもリハビリに協力して下さり、

実際の階段を昇る練習をするときは

私がAさんの身体を支え、奥さんが

点滴棒をもってくださり一緒にリハビリに

取り組みました。

 

そんなAさんの枕元にはいつも本がおいてあり、

「さすがに今はあまり読む気がしないね」

と言いながらも、普段の会話発する言葉の

一言一句はさりげなくも力強いもので、

ある信仰をもっておられる方でした。

 

私も色々な方の本を読むのが好きなので

いつもAさんの身体のストレッチをしながらの

Aさんとの会話は私にとって、とても勉強になる

時間でした。

 

そんなこんなでリハビリを開始して約2週くらいすると、

Aさんはなんとか10段前後の階段を、

手すりにしがみつきながら、私の支えなしで、

昇れるようになってきました。

 

これなら奥さんが横についてさえいれば、

自宅に帰れるかな?

というところまでついに来たのです。

 

また、お部屋からリハビリ室まで

約50m前後の距離も点滴棒を押して

ゆっくりであれば歩けるまでになっていました。

また、個室内など短い距離ならば

何も持たなくても歩けるくらいになっていました。

 

 

Aさんも身体機能の改善を喜ばれ、

リハビリの時間を楽しみにして下さるように

なっていました。

また、奥さんもできる限りリハビリの時間に

間に合うようにいつも面会に来られていました。

 

ただ、お身体のしんどさは続いており、

運動と運動の間には必ず息切れが出て

休憩が必要なのはかわりませんでした。

 

でもAさんは

「これ、面白そうだからやってみましょう!」

といつも前向きに色々な運動に挑戦されました。

 

 

 

そんなある日、Aさんの古くからの知り合いの方が

たまたまリハビリ室に患者さんとして来られていました。

 

Aさんは「お~、久しぶり」と笑顔でその患者さんに挨拶し、

久々の再会を喜ばれていました。

 

「いや~、お互い歳とったね~、

 思う通りにいかなくなったよ。でも、お互い頑張りましょう」

 

というような感じでその患者さんと少しの時間でしたが

談笑されていました。

この時のAさんの笑顔がとても楽しそうで今でも、

私の頭に残っています。

 

 

たしかその出来事が、ある週の木曜日のだったでしょうか・・・。

その翌日、私は上司にAさんのリハビリの代行をお願いして、

私は家の用事で金曜日は休暇を頂きました。

(自分が休む時は、自分の担当している患者さんを

 他のスタッフに代行依頼するのがシステムなので)

 

さらにその翌日の土曜日は出勤したのですが、

Aさんの代行を依頼した上司から、

「昨日はちょっと調子が悪くて、リハビリはお休みしたよ」

と報告を受けました。

 

思わずカルテを開けて状況をみてみると確かにしんどそうな

状況がカルテに記載してありました。

(現在、病院は電子カルテなので、病院のどこにいても、患者さんのIDを

入力すると患者さんのカルテがすぐに見れるのです)

 

ただ、今までも、たまにしんどくなる時があり、輸血などの

治療が入る時はお休みしたことが何度かあったので、

「今回もまたかな?」くらいの気持ちで、その日はひとまず

リハビリは休みにしました。

 

そして、時間が空いたら様子でも見に行こうかなと思いながらも

その日は色々忙しく、終わってからもすぐに帰らないといけない

用事があり、私はAさんの様子を見に行くことなく職場を離れた

のでした・・・・・。

 

そして日曜日を挟んで、月曜日。

出勤したら私はまず、パソコン(電子カルテ)を立ち上げ、

担当患者さんの状態チェックをしてその日の段取りを

考えるのが習慣なのですが、その日は土曜日Aさんが

調子悪がかったことを覚えていたのでまず最初に

Aさんのカルテを開きました。

 

 

そして、カルテの画面を開いた瞬間、

私は固まってしまいました。

 

 

まさか・・・・

 

 

・・・・・そのまさかでした。

 

 

なんとAさんは日曜日の夜に

天国に旅立って行かれていたのでした。

(土曜日か容態が急に悪化し、そのまま戻らなかったようでした)

 

 

「え? なんで?  こないだの木曜日、ここに歩いて来て、

 一緒にリハビリして、久しぶりにあった人とも楽しく話をしてたし、

 階段も昇れるようになったから、もう帰られるねって話してたのに・・・・」

 

 

私の中では、本当につい先日まで一緒にリハビリしていた姿が

焼き付いていたので、信じられませんでした。

 

 

本当に「まさか・・・」という感じでした。

 

 

絶対に家に帰れると思っていたのに・・・・

職場にも顔出せるねって言ってたのに・・・

頑張って階段も練習してたのに・・・・

 

 

 

色々な言葉が私の頭の中をグルグル回っていました。

しかし、次第に冷静になってくる頭に次の考えが浮かびました。

 

 

 

「Aさん、いつも明るく、前向きに振る舞ってたけど、

 本当は身体はとてもきつくて、しんどかったんだ・・・。」

 

 

「でも、最後の最後まで、諦めずに、前向きな気持ちを持ち続けて、

 周りの人達のことを気遣ってくれていたのかも・・・」

 

 

私は冷静になってくる頭で今までの経験を思い返していました。

 

 

実は、私が前立腺がんのターミナル期の患者さんを担当

したことがあるのはAさんが最初ではなかったんです。

 

 

ただ、過去に見てきた患者さんの最後の方はやはり、

だんだん衰えていく身体に悲観し、襲ってくる痛みや

その恐怖感から、その状況が受け入れられず、

時には家族や看護師にその苦痛や、やり場のない

感情をぶつける方もおられました。

 

でも、多くの方はなかなか自分に訪れる最後の時を

簡単に受け入れることはできないので、これはこれで

ある意味、人として普通の反応でもあるのです。

 

 

でも、今思い返しても実はAさんにはそういうところが

殆どなかったんです。

ひょっとしたら、奥さんや一部の看護師さんには

見せていたのかもしれませんが・・・

 

だいたいはカルテの記録とかをみていると、

そのような精神状況というのは見てとれるのですが、

Aさんは全くといっていいほど感じさせなかったんですね。

 

 

むしろAさんは、ターミナル期であることを私が

完全に忘れてしまうくらいに、普通に頑張って

リハビリして家に帰れる方だと思いこませてしまう

くらいに、あまりに普通に振る舞われていたということに

時間がたつに連れて、理解できてきたんです。

 

そうした時に、私は、Aさんとの別れは

悲しいものではあったのですが、

ある意味では、人として、とても凄い生きざまを

見せてもらったというか、言葉では言い表せられないものを、

その身をもって、それこそ命をもって教えてもらったんだ

ということに気付いたんです。 

 

生と死は、表と裏、陰と陽、光と闇、相反するもので、

生きている限り死は必ず訪れるものです。

 

また、逆に死があるからこそ、この世に生をうけ、

生きる喜びや尊さがある。

 

「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」

 

という武士道の有名な言葉がありますが、

まさに、死を見つめ、受け入れてこそ、

より良く生きられる・・・・

 

というような言葉を本では読んで

理解していたつもりだったのですが、

私は、そのことをAさんとの出会いと別れによって

教えてもらったと思いました。

 

また、不慮の事故は別として、

人生の最期をどう迎えるかというのは、

その人の生きてきた生き様が

現れるということも身をもって教えてもらいました。

 

私も含めて、人間、ある程度のことは

自分を取り繕うことってできることもあります。

 

でも、生きるか死ぬかの瀬戸際では取り繕う

精神的なゆとりもなく、素が出ると思うんです。

 

で、その「素」とは今まで生きてきた「生き様」

に他ならないんだと思います。

 

本当に無意識の「素」の自分そのものが、

最期にでるんだと思います。

 

そういう意味ではAさんには本当に

人としてどうあるべきなのか、

どう生きていくべきなのか、

その生き様を、身をもって、

教えてもらいました。

 

今でも私の脳にはAさんの

しんどそうな表情よりも

笑顔が焼き付いていて、

 

時折、思い出しても、

そして今、こうやって書きながらも

とても胸が熱くなります。

 

癌に身体を侵されながら、

お身体は本当にきつかったんだと思います。

 

でも、そんなことは周囲に感じさせないくらいの

とても強い心の持ち主だったAさん。

 

人間の持つ、心の力の偉大さを

本当に教えて下さったと思います。

 

私自身、せっかくAさんが命がけで

心の力を教えてくださったので、

これから辛い時、逃げ出したい時、

どんな時でもAさんを思い出して、

前向きに生きていきたいなと思っています。

 

そして、こんな素晴らしいAさんの

最後の担当理学療法士として

関われたことをとても感謝しています。

 

 

 

とても、長い話になってしまって、どこまで上手く、

読者の方に伝わるかわからないんですが、

でも、どうしても伝えたいと思って、

家族の方にも了解をとって記事にさせて頂きました。

この場を借りて、感謝申し上げます。。。

 

 

 

また、長文であるにも関わらず、最後まで読んで

下さった方はありがとうございました。

感謝しています。

 

 

あ、それと最後、一つだけ・・・・言い忘れてました。

 

 

 

 

Aさんの最期は奥さんの両腕に抱かれて、

奥さんの胸の中で安らかに眠るようだったと聞いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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