平凡な人生という「大成功」

こんばんは。リョウです。

今日もブログを読んで頂き感謝してます。

本日はいつも読んでいる新聞に連載

されている曽野綾子さんの

「透明な歳月の光」の中から印象深い

お話しをシェアしたいと思います。

 

それは、先日あったパリの襲撃事件の

報道からあることを感じたと、

曽野さんが語られていたものです。

 

今回の事件で名前も年齢も職業も様々な

方々が無差別にその被害にあい、

その方々の生涯が突然断たれた運命を

多くの人が深く悼んだと思います。

 

そこまでは私も含めて多くの方がそうだと

思うんですけど、そこで曽野さんは私たちとは違って

今回の事件で次のような考えられたそうなんですね。

以下の話がとても興味深い内容です。

 

 

よく日本では

「私の生涯は一体何だったのか、と思います。

 私は何のいいこともしませんでした。」

という人に出会ったり、そのような趣旨の文章を

書いているのを目にすることがあるが、そんな時、

曽野さんはこのように直接言うそうなんですね。

 

それは、

「あなたも私も、今まで幸運もあって、

 人を殺しませんでしたし、自分も殺さなかった、

 それだけでも大成功です。」

 

そして、自身が70代半ばに運転免許の更新をやめた時に、

 

「これで私は、この世で自動車事故で人をあやめること

 だけはしなくて済んだ。私の人生は成功だった」

 

と思ったということを綴っているのです。

そして、今回のパリの襲撃事件についてこのような

コメントをされています。

「パリの襲撃事件に加わった若者たちが、

 どのような理由でそういう行動に出たか、

 もちろん複雑な理由はあるだろうけれど、

 私に言わせれば、人生すべての失敗は

 その気になれば償うことができる。

 しかし人間の命を意図的に絶ったという行為

 だけは、償うことができない。」と・・・・・

 

そして、最後にこう付け加えています。

 

「こう考えるとこの世の人は人生の成功者なのだ。

 多くの人が子供を育てたり、老人の面倒を見、

 会社で決められた仕事を正確に勤め上げ、

 家では家族のためにご飯をつくったりもしただろう。

 

 それらは、人を殺すどころではなく、

 人を生かす目的のための行為であった。

 

 とすれば、その人の人生は大成功だったのだ

 

もっと自分の周囲の人の生活を慎みをもって知り、

 その生涯に尊敬をささげ、 あるいはその

独自の生き方をいとおしむことができれば、

「大成功」の人生はさらに「大大成功」になる。

 

と、このように締めくくっておられます。

 

さすが作家さんという文章でもありますが、

やはりその考え方に私は深く感銘しました。

 

私は病院で勤務しており、日々患者様と接する仕事です。

患者様の多くは75歳を越える高齢者の方々なんですが、

中には

 

「どうせ私なんかもう生きててもしょうがないの。

 早くお迎えが来てほしいわ」

 

「もう、歩かれへんかったら、子供に迷惑かけるだけやし

生きててもしょうがないわ」

 

というように人生に悲観的な発言をされる方が

少なくありません。もちろん、そういわれて、

私も含め多くのスタッフが困惑するのですが、

今後は、今回のエピソードを引用させてもらい、

 

「あなたは成功者だっかもしれませんよ!」

と言ってあげたいなと思いました。

 

そして私自身も色々と凹むこともありますが、

ひとまずは

 

『一生懸命誰かのために頑張っているだけでも

 成功者なんだな』

 

と思うと、なんだかとても肩の荷が下りる気がして

救われたような気持ちになることができました。

 

きっと私のブログを読んで頂いている方は既に

成功者だと思いますが、もし、周囲の方でそう思えて

いない方がおられましたら、是非、このお話しを

シェアしてあげて欲しいなと思います。

 

それでは今日はこのくらいにしたいと思います。

どうも最後まで読んで頂きありがとうございました。

感謝してます。

 

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